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パプア・ニューギニア Papua New Guinea 西太平洋にある立憲君主国。正式国名はパプア・ニューギニアで、イギリス連邦に加盟している。オーストラリア北方の赤道付近に位置する。本島とよばれるニューギニア島の東半分と、ビズマーク諸島、ルイジアード諸島、トロブリアンド諸島、ダントルカストー諸島、ウッドラーク島、ブーゲンビル島、ブカ島など1万あまりの島々からなり、西はインドネシアのイリアン・ジャヤ州に接する。総面積は46万2840km2。人口は368万9000人(1990年暫定値)。首都はポート・モレスビー。


国土と自然
ニューギニア島東半の海岸部は、ほとんどが低地である。南西部の沿岸地域は平原となっており、南西にフライ川、南にプラリ川と多くの川がパプア湾にそそぐ。フライ川の下流部は船の運航が可能である。島の中央はビズマーク山脈、オーエン・スタンリー山脈などがほぼ東西にはしり、あらあらしい地形をつくりだしている。最高峰はウィルヘルム山で、標高は4509m。山脈の北にはセピック川、ラム川などがながれ、ビズマーク海に流入する。
本島の東にある島々の中には、トロブリアンド諸島のように、サンゴによってつくられた島もある。島の中で最大のニューブリテン島は第三紀後期以後の火山活動によって生まれた島で、今もなお火山活動が活発である。


気候
おおむね高温多湿の熱帯雨林気候をしめす。海岸部の気温は年間をとおして21.1〜32.2ーCだが、高地では最低気温3.3ーCを記録している。
年降水量は本島東端のミルン湾付近では5080mm、フライ川河口部では5840mmにもおよぶ。しかし、そのほぼ中間に位置するポート・モレスビーでは、オーエン・スタンリー山脈によって雨雲がさえぎられるため、年降水量は約1145mmにすぎない。


植生と動物

村に遊びにきた野生のオウム 海岸沿いの椰子


ニューギニア島の海岸沿いや河口周辺には、サゴヤシやマングローブのおいしげる湿原がみられる。内陸部はほとんどが熱帯雨林におおわれ、標高の高いところには、ところどころに草原が広がる。高地にはマツがまばらに生え、落葉樹や高山植物が自生する。
動物は種類が豊富で数も多い。哺乳類では、キノボリカンガルー、ワラビー、野生のブタ、ディンゴ、各種のリス、ネズミ、コウモリなどがよくみられる。鳥も豊富で、フクチョウなど熱帯の鳥が生息する。爬虫類も多種にわたる。海岸近くの海には、多種の魚やエビ、カメなどがいる。


住民
住民の99%がパプア人とメラネシア人だが、混血がすすんでいるため識別が困難になっている。1990年の人口は約368万9000人で、人口密度は1km2当たり8人。主要都市は、首都のポート・モレスビー(人口は19万3242人、1990年暫定値)のほかに、ラエ(8万655人)、マダン(2万7057人)などがある。
固有の言語は700あまりあるといわれる。公用語は英語で、それ以外には、ひろく共通する言葉としてピジン英語、ポリス・モトゥ語がもちいられている。宗教は、キリスト教が普及しているが、伝統的な宗教的習俗が根強いこともあり、住民の多くは両者をあわせて生活の中にくみいれている。肉親でも年ごろになると男女が顔をあわせないようにするなど、パプア・ニューギニアはいまだにタブーが支配する社会である。


経済
経済は農業が中心で、大部分は自給用に栽培されている。おもな自給作物はココナッツ・サツマイモ・バナナ・ヤムイモなど。商品作物はプランテーションで栽培され、コーヒー・カカオ・コプラなどが生産されている。漁業や狩猟は、先住民が自給用におこなっているにすぎない。
近年、重要性をましてきたのは、鉱物資源の開発である。ブーゲンビル島と本島では銅や金が採掘されており、ポルゲラ島でも1990年に金鉱がひらかれた。また、木材もかなりの量が生産されている。製造業は、食品加工や衣料品といった消費物資の小規模な生産にとどまっている。


交通
急峻な地形のため、パプア・ニューギニアでは陸上に交通網を建設することがきわめてむずかしく、舗装道路はごくわずかで、鉄道もない。航空機が多くの地域をむすんでいる。国営航空のエア・ニューギニアが国内線と国際線で運航している。ポート・モレスビーは港湾都市としても重要な役割をはたしている。
通貨と外国貿易
通貨の単位はキナ(1キナ=100トーア)である。1980年代末の輸出総額は14億ドル、輸入総額は12億ドル。銅・コーヒー・ココア・木材などを輸出し、機械・輸送装置・食料品・石油製品などを輸入している。おもな貿易相手国はオーストラリア、日本、ドイツ、イギリス、シンガポール、韓国、アメリカ合衆国である。


政治
パプア・ニューギニアは1975年制定の憲法にもとづいて統治されている。国家元首はイギリス国王で、総督がその代理をつとめる。立法権をもつ一院制の議会は、任期5年の民選議員109名で構成される。行政府は首相のひきいる国家行政委員会で、議会に対して責任をおう。首相は議会の提案にもとづき、総督が任命する。おもな政党に、パング党、国家前進連盟、メラネシア同盟、国民党、人民民主運動党、人民進歩党がある。
司法の頂点には最高裁判所があり、その下に高等裁判所、地方裁判所がある。地方行政は、首都地区と19の州にわかれ、各行政単位に地方政府がおかれている。


歴史
現在パプア・ニューギニアとよばれる地域に、はじめてヨーロッパ人が来航したのは1526年のことである(→ ニューギニア島)。
19世紀にはいると植民地化がすすみ、1884年にはニューギニア島の西半分をオランダ、北東部とビズマーク諸島をドイツ、南東部をイギリスが領有する分割統治がはじまった。このうちのイギリス領は1901年にオーストラリアが支配権を主張したため、06年、正式にオーストラリアに移管され、パプア地区と改称された。
第1次世界大戦がはじまると、オーストラリアは北東部のドイツ領を占領し、パプア地区とは別に統治した。戦後、ドイツ領だった地域は国際連盟の委任統治領ニューギニアとしてオーストラリアに託される。オーストラリアの統治下で教育制度が導入され、公衆衛生が向上し、商品作物を栽培するプランテーションが建設された。
第2次世界大戦中の1942年、日本軍がニューギニア島北部を占領し、ポート・モレスビーから56kmの地点までせまった。アメリカ合衆国陸軍とオーストラリア軍は反撃に転じ、43年1月末までに日本軍は撃退される。
戦後の1946年、委任統治領ニューギニアは国際連合の信託統治領として、ひきつづきオーストラリアが統治することになった。オーストラリアは教育の拡大と経済の発展につとめ、最終的な自治・独立にむけて民主制度を奨励した。49年にニューギニアとパプア地区の行政機構が一体化され、51年、議会が創設される。64年、第1回の選挙がおこなわれ、民選議会が発足した。
その後、独立への気運が高まり、1972年の選挙でパプア・ニューギニア人による中央政府が誕生し、73年12月、正式に自治領パプア・ニューギニアとなった。75年9月、イギリス連邦の一員として完全独立を達成し、国連にも加盟。自治政府時代から首相だったパング党の党首ソマレが初代首相に就任する。
1980年の不信任決議でソマレは政権の座をおわれ、人民進歩党のチャンに交代した。このあと近隣のバヌアツに暴動がおこり、政府は鎮圧のため軍隊を派遣する。82年の選挙でソマレが政権に復帰したが、85年、人民民主運動党のウィンティひきいる連立内閣にとってかわられた。しかし88年に彼も不信任をつきつけられ、パング党のナマリユーの連立政権が誕生した。92年の総選挙では、ウィンティがかえりざく。94年8月、ウィンティの政治姿勢が問われて退陣すると、ふたたびチャンが首相に就任した。
1994年9月、6年前から分離をもとめてゲリラ活動にはいっていたブーゲンビル革命軍との間に停戦をふくむ和平協定が成立した。この運動のきっかけは、ブーゲンビル島で銅採掘をおこなうオーストラリア資本の鉱山会社に対する住民の補償請求だったが、やがて独立運動に発展し、ソロモン諸島の住民をまきこんだ紛争となっていたもので、95年初頭に戦いが再燃した。94年9月19日には、ニューブリテン島で2つの火山が噴火し、9万人近くの住民が避難している。

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